
私は年間、約50件くらい講座を開催している。
その講座のほとんどにテキストがない。
厳密に言うなら、私の講座でテキストがあるものは
たったの3つ。
あとの講座は全て、自分自身で書き取ってもらう。
元々、私の講座は実践しながら学ぶものが多く
かつその時の参加者によって
内容を細かく変えている。
同じタイトルの講座だったとしても
全く同じことをやっていない。
もちろん、絶対に伝える必要があることは
同じ内容を伝える。
しかし、それ以外の内容は開催時期や
場所によっても違うのだ。
なので、テキストそのものが作れない。
そして自分自身で書き取ることに
実は大きな意味がある。
それは「聞いて書く」ということは
聞いたこと、姿の見えないもの を
書くことで、姿の見える現実 に
落とし込む行為、なのだ。
姿の見えない音を、自分が手を動かし
ペンを使って紙の上に書き記し
文字という現実にあるものにする。
自分で見えないものに命を与える。
そうすることで、知識は自分の中へ
取り込む材料になる。
書くことで、聞いたことを文字にして
自分の知識に、血肉にするのだ。
なのであえて、書いてもらうように
そうしている。
作られたテキストから学ぶのではなく
あなたが記したことが
あなただけのテキストになる。
それこそが何よりの宝で財産。
誰にも奪われない、あなただけのものなのだ。