心ない言葉を投げつけられた時、優先すべきこと。

Twitterの質問箱、Peing経由で
こんなご質問をいただきました。

 

亡くなった人を見送った遺族は

大なり小なり

 

「もっと早く気づいていれば」

「ああしてあげたかった」

「もっとこうしてあげればよかった」

「私が変わってあげたかった」

 

などの思いを持っていて

それを抱えながら
未来へと歩いていくわけです。

 

だけどそんな遺族に対して
心ない言葉を投げつける人は
残念ながら、います。

 

勿論、言われた側である遺族は
怒ったり悲しんだり傷つきますが

実はこれらの言葉を
まともに聞いてはいけません。

 

なぜならこれらの言葉をぶつけて来る人は

悪気はなく、悪意はなく

その人の世界観、価値観で

 

「良かれと思って」

 

言ってくるからです。

 

でもね、それを言われたところで
亡くなった人は帰ってくるわけでなし

 

で、亡くなった人が生きていた時
その人を支えた遺族も

その他医療を支えてくれていた方や
介護や看護に関わってくれた人も

それぞれのベストを尽くして
出来ることをやっているはず。

 

ベストを尽くしたことに対して
第三者がああすればよかった
こうしてあげればよかった と

さもそれが正しいかのように
横から口を挟むこと自体
とても勝手な行動なのです。

 

それは亡くなった人を思ってでも

大切な人を見送った遺族に対しての
労りの気持ちですらありません。

 

ただその人が「良かれと思って」

言ってきただけのことです。

 

だからまともに聞く必要なし!

 

で、この方は亡くなった人を
安心させたいと書いていますが

ここでやって欲しいのは
亡くなった人ではなく
言われた自分を労ること、なんです。

 

亡くなった人は、こう言ったことを言われても
自分が傷つくのではありません。

生きているあなたが今、自分のことで傷ついて
悲しんでいることが辛いのです。

だからそんな風に思わせないために
あなたがスルーしなければいけません。

まともに話を聞いてはいけません。

 

亡くなった人の最後を知っているのは
遺族だけで、生きるために頑張っていたこと
苦しい日があったことも知っているのは
遺族だけなのです。

周りに言えないことがあるのは
周りに言わないことがあるのは当然。

 

だからスルーすればいいのです。

あの時、誰もが必死で
できる事をやったんだから。

亡くなった人が頑張った日々
辛かったけど過ごした日々
そんな中でも楽しかったこと

そして「またね」と見送ったこと

 

あなたは胸を張っていればいいのです。

それが亡くなった人が望んでいることだから。

 

このご相談者様は、過去に亡くなったご家族と
「ミディアムシップリーディング」を通して
メッセージを受け取られています。

もしこれを読んでいる方で
周りから心ない言葉を投げつけられて

亡くなった人が悲しんでいるんじゃないか
苦しんでいるんじゃないか、と思ったら
私が助けられるかも知れません。

 

あなたが大切に思っていた人は
あなたに感謝している。

 

それを伝えるのが、私の仕事なの。

 

気になった方はこちらをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

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