私が「郵便局の中の人」だった頃の話。
私、よくビックリされるのですが 19才から30才まで 郵便局勤務でした。
ざっくりお話すると 「街の郵便局の窓口のおねえちゃん」。
細かく言うと「国家公務員三種・郵政事務官」として採用・勤務しておりました。
当時の郵便局は国家公務員扱い。
ですが「税金やなく売上が給料になってます」という、いわゆる独立採算制でした。
さて、なんで私が郵便局を志望したのか。
その時中学生だった妹が既に大学までの進路を決めていたこと、私自身学びたい事が無く これやったら就職してキャリア積んだほうがええかな、と就職希望してました。
民間企業も考えてましたが、高校の進路指導の先生に「公務員受けるんやったら、民間は受けんといてくれ」って言われたんです。
理由は明白。民間企業に内定貰って、蹴ったら翌年から学校に求人が来なくなるから。
私のやったことで、何代も後輩に迷惑が掛かってまう。そんなんは出来ませんでした。
そして、何より1番大きな理由は
「日附印を押したかったから」 という 単純な欲望に基づいたものでありました。
日附印。今は収納印っていうのかなー。振り込みの時に押すやつ。アレです。
これがなんか押してみたかった。それだけで受けた。
なので、入ってから 福利厚生がしっかりしてるだの 安定してるだの知ったレベルでしたし、調べようとも思わんかった。
因みに、新卒の時には落ちて1浪して入ってます。
その当時は他の選択が考えられなかったし、後々振り返ると 人生の転機もこの時期に訪れていたから まあ終わり良ければ全て良し。
この時期は本当に色々な経験をしました。
街の郵便局って 郵便も貯金も保険も 全部できないとダメな上、業務はすべてOJT。
研修はあるけど日常業務にはほぼ使えなかった・・・とかね!
現金はほぼ手計算、機械は枚数を数えるしか出来ないので、札束の帯封なども自分でやっていました。銀行だとこの辺9割機械で出来るんだよ!!!
最初は「日附印を押したかったから」という非常にお馬鹿な理由で入りましたが、勤務している時は、来る手続きをいかに早く処理するか、時間に追われた作業の中で
「いかにお客様の潜在的ニーズに答えていくか、求めているものに沿うか」
「その人が語っていない、心の望みを把握すること」が自分への課題になりました。
30歳で退職しましたが、今でも私の仕事の原点、1番好きだった仕事で 今のスタイルへ繋がっているんだな、と感じてます。
投稿者プロフィール
- 世界に3人の薔薇の魔法師の1人でサイキックミディアム、いわゆる霊能者。金融機関17年勤務ののち、この世界へ。生きている人も亡くなっている人もリーディング出来、霊視、土地診断も可能で胡散くさい事は大体出来る。
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